酒蔵を支える職人 杜氏 ―酒造りに注がれる情熱―【前編】


日本三大杜氏の一つ「丹波杜氏」

 丹波杜氏は、南部杜氏(岩手県)、越後杜氏(新潟県)と共に、日本三大杜氏の一つに数えられ、古くは江戸時代から酒造りを行ってきました。丹波地域には原料となる風味豊かな軟水や、良質な米が豊富であったため酒造りが盛んに行われてきました。
 かつて、日本酒造りは年間を通して行われていましたが、江戸時代に冬場にのみ行う「寒造り」が定着しました。飢饉に備えて米を備蓄するために、冬場にのみ余った米を使用しての酒造りが認められたためです。冬の間だけ必要になる人手を供給したのが、農閑期を迎えた農村の働き手たちでした。こうして、各地の農村に「杜氏」を中心とした酒造りの技術者集団が誕生しました。
 「杜氏」は、酒造りのすべてを取り仕切る責任者です。「とじ」とも「とうじ」とも読みますが、一般的には「とうじ」と呼ばれています。杜氏とは、酒蔵で働く蔵人たちのリーダーであり、酒造りの全責任を任された監督のような存在です。
 今なお、先人たちの精神や伝統を受け継ぎ、市島地域の酒蔵を支える2人の杜氏の匠の技と、酒造りに注がれる情熱を紹介します。

▲【種切り:麹菌を振りかける杜氏】

▲【蒸米を放冷機に移す杜氏(写真右)と蔵人との共同作業】

▲【無事に完成した酒を神棚に供え感謝を込めて礼拝】

腕と経験がものをいう職種

 杜氏という仕事の魅力は、飲んで「おいしかった」と言ってもらえることはもちろん、「酔い方や酔い覚めが良い」、「今まで酒が飲めなかったけど、この酒なら飲める」と言ってもらえることです。自分がおいしいと感じるより、飲んだ人がおいしいと思ってもらえる酒が、良い酒だと思います。酒は造る場所によって水も違うし、その人に合う酒、合わない酒があります。酒自体にも波動・波長があり、造り手から出る感情が酒に現れます。だからこそ、世の中にはいろんな酒があり、今の時代まで酒蔵が生き残れているのだと思います。
 酒蔵に入った頃は、米の生産調整やアルコールの規制が厳しい時代でしたが、やがて米が余りはじめ、時代の変化に合わせて酒造りも変わる必要がありました。
 杜氏には2種類のタイプがあると思います。1つは機械に頼る杜氏。もう1つは、「なるようになる」というか、素材を活かしながら素材の手伝いをしているイメージの杜氏です。杜氏によっては「この機械がないと酒は造れない」という人もいますが、私はそこにあるものをうまく使って酒を造ることが職人の腕の見せどころで、経験がものをいう職種だと思っています。

▼杜氏 青木 卓夫さん
丹波市春日町生まれ。
灘の酒蔵などで勤務した後、平成19年に山名酒造株式会社入蔵。
丹波杜氏組合組合長、兵庫県杜氏組合連合会副会長。

いつまでも変わらない酒を造る

 近年、酒蔵で働く人を見ていると、モノづくりに興味を持つ若い人が増えていると実感しています。一昔前の感覚の常識と、今の常識は全く違うので、共に酒造りをする若い人への教え方も随分変わりました。時代に合った教え方をしないと、若い人は付いてきてくれないし、理解もしてくれません。
 酒造りは、杜氏だけでなく、蔵人たちとのチームワークで成り立っています。常に「穏やかに、楽しく」をモットーに職場の輪を大切にしています。嫌々酒を造ると、それが酒に映し出され、飲む人が悪酔いする。手づくりになればなるほど、造った人の心が映し出されるのです。
 今でも100点と言える酒は造れていません。後から「あそこをもうちょっと、こうすればよかった」と思うことが必ずあります。また、分量や温度などマニュアルどおりに造ったら良いというものでもありません。最近は異常気象で米の出来が毎年違います。だからこそ杜氏の腕や経験が必要になります。「今年の酒もおいしかった、ありがとう」と言ってもらえることが酒造りの励みや糧になっています。これからも「あんたの酒はいつまでたっても変わらんな」と言ってもらえるような酒を造り続けたいと思います。